太宰治の後期小説研究
                        ー 表現の特徴分析を中心にして ー
金 英 寛 太宰治(1909ー1948)の『人間失格』等の後期小説は誇張と急変する感情表 現を多用する手法で作品を作り出しているといってよい。またその作品の主人公は悲劇 的な状況の中で悲劇的な結末を迎える。太宰治は簡潔な文章と私小説のように見えなが らも虚構性の優れた作品を絶妙に描いたが、自分自身の生涯も悲劇的な結末を迎えた作 家でもある。 ところが、太宰は特に誇張と急変する感情表現を多用しているという点を 発見することができる。それは次の後期作品の例で著しく現れる。 短編『父』の場合、<父は義のために遊ぶ>、<親があるから子は育たぬのだ>等 の表現であるが、主人公<私>の<義>を求める姿に問題点が多いにもかわらず、俗世 の中での真理追求として読み取るべきである。そこに煩悶はいつまでも続くが、一人 の人間としての真理の追求は<義>と偽善と矛盾を含めながらも連続される。 この偽善の問題は<義>のための遊びの過程の中で許されるものとして読むべきで ある。 『家庭の幸福』では、<家庭の幸福は諸悪の本>という表現で読者を誘うが、主人公 自らの問題と内的な葛藤の解決なしには真の家庭の幸福は有りえない。  『櫻桃』では、<子供より親が大事>という表現が出てくるが、主人公<私>はほん とうに、<子供より親が大事>だとは考えていない。それはその言葉が<心の中で虚勢 みたいに呟く言葉>、即ち、誇張された言葉に過ぎないということ、また主人公も<お れだつて、お前に負けず、子供の事は考えている。自分の家は大事だと思つて>いると いうところで明らかである。結局、<子供より親が大事>という表現は少し誇張され、 小説の面白さを増幅させるための手段として使われているのである。  『トカトントン』の場合、虚無であると読者が分析しやすい<金槌の音>が、<虚無 の情熱さへ打ち倒し>てしまった<トカトントンの音>という逆説的な形態で現われる が、<トカトントン>という音を通じての<真の思想>を問う『トカトントン』は感情 の急変を表現した注目すべき作品であったと言えよう。  『人間失格』では世間と人間に対する<不安と恐怖>のために設定された主人公の< 道化>がだんだん世間と人間に正面にぶつかっていく<一本勝負>に変わる。そのよう な過程の中で、作者太宰は、主人公の状況が少しでも不利に展開されると、即ち、作品 がこれ以上興味を引くことができない場合、誇張された表現と逆説的な表現を以て読者 に訴える。そして依然として世の中を<恐ろしいところ>と見て、甘ったれながら作品 を描いている。  以上のように表現上の問題がある設定にもかかわらず、作品の興味の誘発の手段とし て誇張表現と急変する感情表現が作用していると読み取るべきで、このような読み 方が作品の正しい読みに何よりも重要であると言える。また、新しい真理を探すために 自意識の内部世界で苦痛と煩悶を十字架のように背負った太宰の文学はこれからもわれ われに人間と生の本質について引き続き語ってくれることと思う。  結局、太宰は誇張表現と急変する感情表現を通して正義と真理を追求する人間像を書 き出しているといっていい。が、その主人公はみんな挫折する姿を見せていながらも、 その理由をすべて<官僚>と貧しさと芸術のせいにしている。悲劇的カタルシスを通じ て読者の同情心を呼び起こしているのであるが、反復される誇張表現と急変する感情表 現、正義と真実を追求する主人公の姿に隠されている惰弱な心理は、読者が太宰の< 甘え>をそれ以上受け入れない場合は同情心の誘発に失敗し作品に興味を失する要素と して作用する可能性もある。 1947年から1948年まで書かれた太宰の小説の中で、『父』、『家庭の幸福』 『櫻桃』、『トカトントン』、『人間失格』等は真理発見のための主人公の苦痛と心理 描写が誇張表現と急変する感情表現を以て描かれているという理由は次のように思われる。 1。作品の虚構を強調する。 2。読者の前で同情を誘発させる。 3。逆説的表現を通じて悲劇的なカタルシスを表わす。 また、後期作品に共通した特性は、現実を<恐ろしいところ>と見なしている主人公の 考え方と行動が時間の流れによって元の意図とは違った姿で現われるという点である。 それは作品に一貫して書かれていない主人公の言行不一致のせいで作品をあきあきさせ る要素として作用しているように見える。  しかし、太宰の後期小説に頻繁に表われる誇張表現と急変する感情表現は主人公が求 めている<真理>と<正義>さがしの手段に使われながらも作品の虚構という面白さを 増幅させているのも事実である。 興味を誘発させ読者に同情を訴える方法として太宰治は虚構の名人らしく逆説的な 表現、誇張表現、急変する主人公の心理表現の多用を以て、虚構を通じて 真実を伝える手段に成功していると言える。